令和元年度夏期講演会 「熟練外科医から若手外科医へ」

1945年(昭和20年)1月17日生まれの私は、鹿児島県立鶴丸高等学校をS.38年に卒業、S.44年に鹿児島大学医学部を卒業し、今、S.94年なので医師になって50年になりました。鹿児島大学を卒業し、外界を志した頃は、大学は未だ麻酔科が出来たばかりで、教授に直に気管内挿管や主にN2Oを用いた麻酔を教わりました。とくに気管内挿管は面白く、L字型のマッキントッシュ挿管鏡を用いて行っておりました。入局した第一外科は、脳外科もありましたが、一般外科が主で乳がん、甲状腺がん、胃がん、大腸がんのopeが多く、呼吸器外科もやっており、分肺機能検査をやったりして、自然に呼吸器外科を目指すようになりました。呼吸ガス分析、ILメーター、タグラスバックなどを扱っておりました。肺機能検査分析の時等は、深吸気、深呼気の見本を示しながらやっておりましたが自分が疲れてしまっていました。
当時の第一外科は県下の関連病院に医局員を派遣しており、僕らの同級生は計6人でしたが、病棟にするためにペアを組んで(6ヵ月)刻みの出張、大学になりました。
S.55年から江南病院で働いていたんですが、“田中先生はopeをやらせてくれる”という事で多くの若手が集まり、中にはルールを破って江南病院に来た者もおりました。外科のopeは、まず見て覚える事が一番で教科書を見て“A→Bへ切る”と書いてあってもメスの角度や深さは書いてなく殆どさんこうになりません。
外科医はまず見て覚えます。次に部位次第ですが可能なら触って覚える事がポイントだと思います。

2019年8月16日
田中 俊正