先輩外科医師から若手医師へ

先輩の独り言/若き外科医達への申し送り

私が昭和56年に宮崎医科大学を卒業して今年で40年になります。最初の4年間は北九州市の救急病院で内科1年と救急医療を4年研修しました。1外科に帰って来てからは県内8つ以上の施設に出向し育てて頂きました、感謝です。平成4年に、外科医10年目の年に県立宮崎病院に赴任し、28年在籍しました。その間、消化器外科医と小児外科医の二足の草鞋を履き、24時間365日のオンコールの日々を約20年間続けました。2010年から県立宮崎病院に九州大学から小児外科専門医を派遣して頂く様になり、既に2006年から鹿児島大学から派遣されていた宮崎大学とは、漸く2017年にリンク出来る様になりました。

講演の中でご紹介させて頂いた先輩医師達からの「私を支えてくれた言葉」のほんの一部ですが、記して後輩への申し送りとさせて頂きます。

  1. 患者さんの事で悩んだら、その患者さんにとって一番良い方法を選択しなさい。
    そうしたら自ずと道は決まってくるから。
  2. 法的に自分を守る事を常に頭に置いて仕事をしなさい。
  3. ありふれた手術ほどしっかり治して患者さんを歩いて帰す、合併症の少ないのが良い外科医である。
  4. 合併症を起こした時ほど、患者さんの所に足を運びなさい、辛い事だけど。
  5. 手術室で奇声を発すべからず(手術手技研究会・べからず集より:術者はいつも冷静沈着でいなさいという事)
  6. High Risk High Return(大変な事ほど結果が良ければ喜びも大きい)
  7. そこの施設にずっと居たかったら、その施設に必要とされ続ければ良いだけの事。
  8. 外科医は忙しいが、家族と過ごす時間も大切に。

以上です

【講演動画】増田好治 先生「熟練外科医から若手外科医へ」

先ずは本会が盛大に開かれていることにお祝いを申し上げます。
本会発足からはや20年位経ったようですが、本会の価値を高めて来た歴代の会長及び幹部の先生方の努力に敬意を払います。
私も外科を志し、鹿児島大学第1外科に入局して依頼56年経ちました。
その頃の外科は全身麻酔の発達のおかげでいろんな手術が一挙に出来るようになり全国の学会の発表では、こんな手術やあんな手術という手術症例の成功例、失敗例の発表が花盛りでした。
その中に参加出来る為には、手術の基礎的なテクニックつまりメスの使い方やハサミの使い方、糸結び、手術時の手の動かし方などこまかい所まで先輩の厳しいチェックを受けながら研鑽を積みました。
その後、外科分野も医療器具の分野つまり内視鏡の発達に伴い内視鏡併用や内視鏡のみの手術や細いファイバーのみの手術など機器の進歩とともに先生方の修練の仕方も変わってきたことでしょう。
皆さん方の対論を聞いていて、皆さんが何を悩み、何に胸を踊らせて取り組んでいるのか見聞きするのも楽しみの一つとなりましたが、いつの時代にも悩みを尽きないものなのです。現在のように分子レベルの医学のあり方を思うときは、目指す前途は益々遠く高くなっていくように感じられるでしょうが、どうか皆さんそれに向かってめげたり、へこんだりせず頑張って楽しい明日を迎えるように励んで頂きたいと念じて私の話しを終わらせて頂きます。
御静聴ありがとうございました。

外科医人生40年 を振り返って:若手外科医への提言

過去40年間に外科診療は拡大手術から縮小、低侵襲手術へと変遷してき ました。特に鏡視下手術の進化は目覚ましく、近い将来にはRoboticsurgeryが 主流になるのでは?、遠隔手術が可能になるのでは?、などと囃されてます。 一方で現状のダビンチ手術には、医療経済的・マンパワー的に厳しいこと、執 刀医が限定されること、触覚がなく操作制限もあること、など解決されるべき 問題が多々あります。鏡視下手術では、高難易度症例やトラブル回避を要する 緊急事態に対処するのが容易ではなく、時として開腹下または開胸下での剥離 操作、縫合・結紮止血、手縫い吻合などが必要になります。余計なお世話と笑 われそうですが、ラパロ世代の若手外科医達がこれらの外科基本手技に習熟し ていないこと、その機会が少ないことがとても心配です。個々の症例に応じて 直視・直達下手術と先進的鏡視下手術の両者をうまく使い分けながら安全・確 実な手術を行って欲しいと思います。先般、ノーベル賞を受賞された本庶先生 の言葉に研究者には3つのC:Cntinuation,Concentration,Confidenceが必 要>とあります。我々臨床外科医にもこの3Cが当てはまると思います。日々 の診療において、全ての症例を大切に吟味検討すれば、いつの間にか膨大な経 験を積み上げることになり自信も芽生え外科医として成長できるはずです。今 後とも次世代を担う若手外科医の活躍に期待したい思います。

県立宮崎病院 統括副院長(兼)外科部長 上田 祐滋

令和元年度夏期講演会 「熟練外科医から若手外科医へ」

1945年(昭和20年)1月17日生まれの私は、鹿児島県立鶴丸高等学校をS.38年に卒業、S.44年に鹿児島大学医学部を卒業し、今、S.94年なので医師になって50年になりました。鹿児島大学を卒業し、外界を志した頃は、大学は未だ麻酔科が出来たばかりで、教授に直に気管内挿管や主にN2Oを用いた麻酔を教わりました。とくに気管内挿管は面白く、L字型のマッキントッシュ挿管鏡を用いて行っておりました。入局した第一外科は、脳外科もありましたが、一般外科が主で乳がん、甲状腺がん、胃がん、大腸がんのopeが多く、呼吸器外科もやっており、分肺機能検査をやったりして、自然に呼吸器外科を目指すようになりました。呼吸ガス分析、ILメーター、タグラスバックなどを扱っておりました。肺機能検査分析の時等は、深吸気、深呼気の見本を示しながらやっておりましたが自分が疲れてしまっていました。
当時の第一外科は県下の関連病院に医局員を派遣しており、僕らの同級生は計6人でしたが、病棟にするためにペアを組んで(6ヵ月)刻みの出張、大学になりました。
S.55年から江南病院で働いていたんですが、“田中先生はopeをやらせてくれる”という事で多くの若手が集まり、中にはルールを破って江南病院に来た者もおりました。外科のopeは、まず見て覚える事が一番で教科書を見て“A→Bへ切る”と書いてあってもメスの角度や深さは書いてなく殆どさんこうになりません。
外科医はまず見て覚えます。次に部位次第ですが可能なら触って覚える事がポイントだと思います。

2019年8月16日
田中 俊正

平成30年度宮崎県外科医会冬期講演会

私が経験した訴訟症例、訴訟になりそうであった症例の検討、等々
熟練外科医?から若手外科医へ

社会医療法人善仁会 宮崎善仁会病院
関屋 亮

外科医になりあっという間に月日が過ぎていきます。まだ楽しく手術を行っていますが、いつまで行っていいのかいつも悩んでいます。鏡視下手術も多く、器械の進歩もあり、術野はまだよく見えています。いつの間にか熟練医師?になってしまい、まだ何も完璧にできるものはありません。いつも悩みつつ、患者さんに教えられつつ、日々勉強しながら医療を続けている状況です。

私は、心臓血管外科、食道疾患、肺疾患等の胸部外科症例、腹部外科症例、特に心機能や肺機能に合併症の多い患者を多く診てきました。そのため死亡症例も多数経験してきました。これが外科医の宿命と考えています。 続きを読む…

平成30年度夏季講演会「熟練外科医から若手外科医へ」

君たちに伝えたい宮崎の遺産
肝腫瘍に対する手術手技(その1)

メディカルシティ東部病院 肝がん治療センター・外科
東 秀史 先生


肝臓外科は1980年から90年代にかけて飛躍的な進歩を遂げました。その最も大きな要因は、肝離断に際して個々の脈管を意識するようになったことであり、フランスのクイノーがグリソン鞘を意識する手技を提唱したことが緒端でありました。その後、肝静脈の温存によりoutflow blockを避ける手技が定着するに至って、術死率は15%からほぼゼロに低下するという驚愕の結末に至っています。この時代に、宮崎医科大学の肝臓外科は先端的な手術手技を数多く提唱し、30年を経た現在でもその一部が標準的な手技として残っています。

今回は、肝腫瘍の摘出が困難と判断されるケースにおいて、(1)腫瘍と(温存すべき)脈管が近接している場合、(2)下大静脈を遮断しなければ危険と判断される場合の2点に関する(宮崎医科大学で開発された)手術手技を提示します。

続きを読む…